2010年7月29日木曜日

「怪談」上人 淫鬼と化す ・・・今昔物語より

八月から始まる「大江戸怪談きもだめし」に先立ち
今昔物語のなかの妖しいおはなしを・・


むかし、文徳天皇の御母にあたる染殿后(そめどののきさき)という方がいた。太政大臣藤原良房公の娘で、その容姿は言いようがないほど際立って美しかった。


 しかし困ったことに、この后は常に物の怪に悩まされていた。霊験あらたかと評判の僧たちが呼ばれて様々の祈祷を行ったが、まったく効果がなかった。



 その頃、大和葛城山系の金剛山というところに、一人の尊い上人が住んでいた。長い年月この山で修行を積み、鉢を飛ばして食べ物を得たり、甕を水汲みに遣ったりしていた。

 たゆまぬ修行の結果、上人は比類のない験力を得て、評判は次第に高まった。

 天皇と父親の大臣もそれを耳にして、『その僧を呼んで、后の病の祈祷をさせよう』と思い、参内させよとの命が下った。

 使者が何度となく赴いたが、上人はその都度辞退した。しかし結局、勅命には背きがたく、ついに参上することとなった。

 御前に召して祈祷を行わせると、たちまちしるしが現れた。

 后の侍女の一人が、にわかに錯乱したのだ。何かが乗り移って泣き喚きながら走り回るのを、上人がさらに力を込めると、女は縛られたように動けない。そこをさらに激しく祈祷で責めつけた。

 すると女のふところから、一匹の老狐が転げ出た。くるくる回ってその場に倒れ伏し、もう逃げ去ることもできない。上人は狐を縛り上げさせ、悪道を去るよう教えを垂れた。

 父親の大臣は、これを見て限りなく喜んだ。それから一両日のうちに、后の病はすっかり癒えたのである。



 大臣が、

「当分の間、ここに居てくれ」

と言ったので、上人はしばらく帰らずにいた。

 夏のことで、后は単衣物だけを着て几帳の内にいたが、そこに風がさっと吹いて、ひるがえった垂れ布の隙から、たまたま上人は后の姿を垣間見た。

 『なんということだろう。こんな美しい人を、いまだかつて見たことがない』。上人はたちどころに目がくらんで心乱れ、胸が張り裂けそうになって、深い愛欲の情の虜となった。

 しかし、相手が后ではどうしようもないから、ただ思い悩むばかりだ。

 胸は火に焼かれるがごとく苦しく、ちらりと見たばかりの面影が片時も瞼を去らない。ついに思慮も分別もなくして、人のいない隙をうかがって几帳の内に忍び込んだ。

 横になっている后の腰にやにわに抱きつくと、后はびっくりして、汗みずくになって逃れようとするが、女の力では抗しきれない。上人はありったけの力で抱き伏せる。だが女房たちが異変に気づいて、大声で騒ぎはじめた。

 まもなく、侍医の当麻鴨継(たいまのかもつぐ)がやって来た。この者は勅命で后の病の治療のため宮中に詰めていたのだが、后の御殿の方から大声がするので、驚いて駆けつけたのだ。

 鴨継が見ると、几帳の内から上人が出てきた。

 ただちに上人を捕らえ、天皇に事の次第を報告すると、天皇は激怒した。上人は縛り上げられ、牢獄に放り込まれた。



 獄につながれた上人は、ひと言の弁明もせず黙していたが、あるとき天を仰いで泣く泣く誓いを立てた。

「我は今ただちに死んで鬼となり、后が存命のうちに、必ずや思いを遂げてみせる」

 獄吏が聞き留めて父親の大臣に知らせたので、大臣は驚き、天皇に申し上げたうえで、上人を赦免して金剛山へ帰した。

 しかし、もとの山に帰っても、后への情欲は我慢できるものではなかった。

 なんとか再び近づきたいと、日ごろ頼みとしている三宝に願いを立てたが、結局現世では叶わぬと悟ったか、『やっぱり死んで鬼となろう。鬼となって思いを遂げよう』と決めて、一切の食を断った。

 十日あまり経って餓死すると、たちまち鬼になった。

 身の丈八尺ばかり、禿髪(かぶろ)にして裸体であった。赤いふんどしをして、小槌を腰に差している。膚は漆を塗ったような黒い。眼は金鉄の碗を入れたようにぎらぎら輝く。剣のような歯が生え並んだ口から、上下の牙を剥き出していた。



 鬼は、后の几帳の傍らに忽然と現れた。

 これを見た人は、みな動転して逃げまどった。女房などは、ある者は気絶し、ある者は衣を頭からかぶってうずくまった。もっとも、后に近しい人しか入れない場所なので、多くの人が見たわけではない。

 人々が恐れる一方で、后はこの鬼に魅入られてしまった。すっかり正気を失って、綺麗に身づくろいした姿でにっこり笑うと、扇で顔を差し隠して几帳の内に入り、鬼と二人 抱き合って寝た。

 外で聞いていると、

「いつもいつも恋しく思っていた。逢えなくてつらかった」

などと鬼が睦言し、后は嬉しげに嬌声をあげている。あまりのことに、女房らはみな逃げ去った。

 しばらく時を経て日暮れになると、鬼が几帳から出て去って行ったので、女房らは『后はどうなさったのだろう』と思って急ぎ戻り、様子を伺った。

 后は一見いつもと全く同じで、『何か変なことがあったかも』と不審がる気配すらなく坐っていた。ただ、眼のあたりが少し恐ろしげになったように感じられた。

 この事件の報告を受けて天皇は、奇怪さに怖じ恐れるより先に、『后はこれから、どうなってしまうのか』と案じて深く嘆いた。

 じっさい鬼は、以後毎日同じように現れた。后はそのたびに心を奪われ、ひたすら鬼をいとしく思って交接した。

 宮中の人々はそれを見て、どうしようもなく悲しく、いたずらに嘆くばかりだった。



 やがて、鬼はある人に憑いて、

「鴨継には恨みがある。きっと思い知らせてやる」

と言った。

 鴨継はそれを聞いて恐れおののいていたが、まもなく急死してしまった。三四人いた鴨継の息子たちも、みな気が狂って死んだ。

 天皇も父親の大臣も、この事態を見て甚だ恐怖し、鬼を取り鎮めるべく、大勢の高僧に懸命の祈祷を行わせた。

 祈祷の効果があったのか、鬼は三月ばかり来ず、后の心持も少し治って以前のようになった。

 天皇はそれを聞いて喜び、

「一度、様子を見に行こう」

とのことで、后の御殿に行幸の運びとなった。常よりも心のこもった行幸で、文武の百官が残らずお供した。



 天皇は御殿に入り、后に対面して涙ながらにしみじみと語りかけた。后も深く感動した様子だった。天皇の目にはそんな后の姿が、かつてと少しも違って見えなかった。

 と、その時……。

 あの鬼が、部屋の隅から躍り出た。そのまま后の几帳に入っていく。

 天皇が驚いて見ているうちに、后は例によって正気を失い、鬼を追っていそいそと几帳に入った。

 しばらく間があって、鬼は今度は南面に躍り出た。

 大臣・公卿をはじめ百官の者が、真正面に鬼を見て恐れおののき、『とんでもないやつだ』と思っているところへ、后が続いて出てきて、多くの人々の目の前で鬼と一緒に横になった。

 后と鬼はその場で、言いようもなく見苦しい痴態を、誰はばかることなく繰り広げた。やがて終わって、鬼が起き上がると、后もまた起きて几帳に入った。

 天皇は、どうすることもできないと思い、嘆き悲しみながら帰っていった。



 こういうことがあるから、高貴な女性は、怪しい僧に近づかないよう気をつけなければならない。

 この話は極めて不都合で、言えば何かと差し障るような内容であるが、後世の人にみだりに僧に近づくのを戒めるため、語り伝えているのである。

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